8/11【今日の1曲】武満徹 – 弦楽のためのレクイエム

本日は日本を代表する作曲家、武満徹(たけみつとおる)の初期作品、「弦楽のためのレクイエム」をご紹介します。

一昨日、谷川俊太郎が作詞し武満徹が作曲した「死んだ男の残したものは」を紹介した際、武満徹については後日また紹介したい旨を述べましたが、早速。

指揮:小澤征爾/新日本フィルハーモニー
(1990年(平成2年)11月6日/東京文化会館)

001_弦楽のためのレクイエムRequiem for Strings Orchestra(1957)7:49
武満徹 – 弦楽のためのレクイエム

個人的にはここ数日の大村雅朗、武満徹、再び大村雅朗、そして本日また武満徹の並びは不思議な感じで、どちらも特別な思い入れのある音楽家ですが、今まで並列で考えるということは全くなかった二人なので、興味深いです。特に比較してどうの、という論考は出来なそうですが(でもこれ出来たら面白いでしょうねー)、強いて共通点を挙げるならば、二人共見た目は優男風でありながら、非常に気骨のある「攻めた」音楽を作る人だった、という点です。

そもそもの武満徹とはどういう人なのか、というところから簡単に書きますと、ほとんど独学で音楽を作った人で、初期の作品は当時の音楽評論家に「音楽以前である」と新聞紙上で酷評された事もあります。

本日紹介する「弦楽のためのレクイエム」も1957年の初演時は芳しい評価は得られず、ほぼ黙殺状態。ところが、1959年に来日していた20世紀を代表する作曲家Igor Stravinsky(イーゴリ・ストラヴィンスキー)が、この作品のテープを偶然NHKで聴き、絶賛したことで、後の世界的評価の契機に。
以後数々の賞を受賞し、「世界のタケミツ」と称されるようになります。

「弦楽のためのレクイエム」についての興味深い資料として、
Toru Takemitsu, his music & philosophy
というサイトに、生前のインタビュー音声が多数アップされているのですが、その中の「柴田南雄によるインタビュー」(「弦楽のためのレクイエム」初演の翌年、とのことなので1958年のものと思われる)にて、その時期取り組んでいたミュージック・コンクレート作品の意図するところや、「弦楽のためのレクイエム」については、「一般的な鎮魂曲というよりも、もっと根元的な生命についての楽曲であること」が確認できます。
ちなみに計算するとこの時、武満徹は27か28歳。声がややぎこちないのは、おそらくは結核を抱えていた時期のため。

また武満徹は作品解説で「人間とこの世界をつらぬいている音の河の流れの或る部分を、偶然にとりだしたものだといったら、この作品の性格を端的にあかしたことになります。」と、語っています。

はっきり言って、聴いてもなにやらピンと来ない、聴きどころがどこにあるのかようわからん。という方が多いのではないでしょうか?
確かにこの曲にはこれというメロディーラインや分かりやすい聴きどころのようなものは無く、いわゆる現代音楽の無調と分類される作品です。当時の評論家が酷評したという「音楽以前」という批評も、西洋音楽の歴史上で理論として積み重ねられ機能性が決まりきった「音楽」というところから「それ以前」の音自体の響きを独自に探し当てて切り出したという事ではその通りで、ただしこれは大絶賛に値する成果です。

多分今まで紹介してきた曲の中で1番くらいに、一般的な「キャッチー」とは遠いところにある厳しい音楽かもしれませんが、あまり難しく考えずに感覚で聴いてみてください。
「甘さ」だけでは得られない味わいが確かに存在します。

コメント

タイトルとURLをコピーしました